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松井常松
2020.12.31
「無題」

もうすぐ2020年が終わります。

ライブはできなかったけれども、ラジオ番組へのメッセージや、ホームページへのメールで、みんなの笑顔が浮かんで来るような瞬間を何度も感じることができて、その度に励まされたし、やっぱり幸せな一年でした。

来年のことも何一つまったく予想はできないけれども、それでもみんなと一緒に繋がっているんだと言うことを励みに、笑顔で過ごしていきたいと思います。

今年もありがとう。

来年もよろしくね。

2020.09.23
「ライブはできないけれども」

何かみんなに楽しんでもらえることを提案できないかと、いろいろと考えていました。
「2007/11/01 渋谷C.C.Lemonホール」覚えていますか。「BOOWY FILM GIGS」のライブアクトとして、演奏させていただいた1時間弱のライブです。個人的なチェック及び記録用にと、一台のカメラを固定据え置きで録画してもらっておいた映像を見つけました。もちろん音も映像も、作品としてリリースできるクオリティではないのですが、あの日、会場に足を運んでくれた人達には、もしかしたら楽しんでもらえるんじゃないかと思い、期間限定(30日間くらい)でYouTubeにUPすることにしました。
掲載の許可を得るためにメンバーの皆さんに映像を確認してもらったところ、皆さん、快く承諾してくれました。久々の連絡でしたが、みんな元気そうだったのが何より嬉しかったです。また同じメンバーで、皆さんと同じ空間を楽しめる日が、早く来るよう願っています。

 

2020.09.20
「ライブについての僕の考えをお伝えします」

いろんなアーティストの方々、イベント関係の方々が、模索しながらも様々な方法にトライしていることは、もちろん僕も知っています。ライブ会場のスタッフの人達の、並々ならぬ努力もわかっているつもりです。けれども、僕が一番気になることは、実はそこではないのです。
僕のライブに足を運んでくれる人達の多くにはご家族がいらっしゃいます。ご家族から頼りにされているお父さん、お母さんがたくさんいます。昨年末までの状況下でさえも、皆さん、いつも苦労しながら、その日に向かってお仕事の調整やご家族のご理解を得るために、寸前までがんばって、それでようやく会場までたどり着いてくれるのです。
東京のライブであれば東京の人が中心、大阪であれば大阪の人が中心というわけでもなく、北海道から沖縄まで、いろんな場所から、いつもみんな集まってくれるのです。僕がライブの予定を発表するということは、言い換えれば、そういう皆さんに招集を掛けるということでもあります。飛行機や新幹線、地下鉄などを乗り継いで、ホテルに宿泊もすればレストランで食事もするでしょう。普段の生活の中でもリスクをゼロにすることが無理なのはわかっています。でも、こういう状況の中で、今までのように職場やご家族を説得するのは、それだけでも気が重くなる作業だし、ちょっと後ろめたい気分にもなるかもしれない。快く送り出してくれるご家族も、もちろんいらっしゃるとは思うけど、それでもお互い、心の隅にある不安は消せないでしょう。
どう言い繕ったところで、ライブは娯楽なのです。今だからこそとか、ライブでしか伝えられない大事なことなんて、僕は持ち合わせてはいません。
とは言え、皆さんに会えないのは僕だって寂しいんです。早く安心してみんなで集まれる日が来るようにと、いつも心から願っています。

 

 

2020.09.11
「60本の赤い薔薇」

親戚が集まり、普段は飲まないお酒も少しだけ飲んで、顔を真っ赤にして、この日のために作った俳句を読み、浪曲なども歌い、大いに照れながらも嬉しそうに、楽しそうにしていた父の姿を思い出しました。あらためて見ると父も随分と年を取ったなあとつくづく思ったものでした。あれから三十数年の時が過ぎ、お陰様で父はまだまだ元気です。そして今度は自分がその時の父と同じ節目の年を迎えることとなりました。折しも、今まで経験したことのない大きな波を受けての自粛生活という状況も重なり、ゆっくり、じっくりと半生を振り返る日々を過ごしてきました。これまで自分の身に起こったこと、人との出会い、別れ、その時々の選択、決断。幼い頃の記憶から辿る謎解きのような、または一人禅問答のような。例えば何か悟りのようなもの、答えのようなものを探していたのかもしれません。これからの残りの人生の指針になるようなものが欲しかったのでしょう。でも、頼りがいのある心強い答えなど何も見つからないまま、その日を迎えました。それはそうですよね。そんなに簡単に人生の答えが見つかるわけがない。悩み苦しみ、そしてひと時の幸せを噛み締めながら、これからも今までと同じように、本当のその日が来るまで生き続けていくだけ。きっと父も同じようなことを、あの日、考えていたいたような気がします。
さて、ラジオ番組やホームページにたくさんのメールやお祝いのお手紙をいただきました。その多くに「これからもずっと元気でいてください」というメッセージが添えられていました。このシンプルな言葉が、今ほど心に響いたことはありません。みなさんの気持ちが心に沁みます。生涯現役という気持ちでお返ししていきたいと思います。
こんな僕ですが、これからもよろしくね。

 

いつもありがとう。

 

2020.05.04
「Wild flowers」

2020.12.31
「無題」

もうすぐ2020年が終わります。

ライブはできなかったけれども、ラジオ番組へのメッセージや、ホームページへのメールで、みんなの笑顔が浮かんで来るような瞬間を何度も感じることができて、その度に励まされたし、やっぱり幸せな一年でした。

来年のことも何一つまったく予想はできないけれども、それでもみんなと一緒に繋がっているんだと言うことを励みに、笑顔で過ごしていきたいと思います。

今年もありがとう。

来年もよろしくね。

2020.09.23
「ライブはできないけれども」

何かみんなに楽しんでもらえることを提案できないかと、いろいろと考えていました。
「2007/11/01 渋谷C.C.Lemonホール」覚えていますか。「BOOWY FILM GIGS」のライブアクトとして、演奏させていただいた1時間弱のライブです。個人的なチェック及び記録用にと、一台のカメラを固定据え置きで録画してもらっておいた映像を見つけました。もちろん音も映像も、作品としてリリースできるクオリティではないのですが、あの日、会場に足を運んでくれた人達には、もしかしたら楽しんでもらえるんじゃないかと思い、期間限定(30日間くらい)でYouTubeにUPすることにしました。
掲載の許可を得るためにメンバーの皆さんに映像を確認してもらったところ、皆さん、快く承諾してくれました。久々の連絡でしたが、みんな元気そうだったのが何より嬉しかったです。また同じメンバーで、皆さんと同じ空間を楽しめる日が、早く来るよう願っています。

 

2020.09.20
「ライブについての僕の考えをお伝えします」

いろんなアーティストの方々、イベント関係の方々が、模索しながらも様々な方法にトライしていることは、もちろん僕も知っています。ライブ会場のスタッフの人達の、並々ならぬ努力もわかっているつもりです。けれども、僕が一番気になることは、実はそこではないのです。
僕のライブに足を運んでくれる人達の多くにはご家族がいらっしゃいます。ご家族から頼りにされているお父さん、お母さんがたくさんいます。昨年末までの状況下でさえも、皆さん、いつも苦労しながら、その日に向かってお仕事の調整やご家族のご理解を得るために、寸前までがんばって、それでようやく会場までたどり着いてくれるのです。
東京のライブであれば東京の人が中心、大阪であれば大阪の人が中心というわけでもなく、北海道から沖縄まで、いろんな場所から、いつもみんな集まってくれるのです。僕がライブの予定を発表するということは、言い換えれば、そういう皆さんに招集を掛けるということでもあります。飛行機や新幹線、地下鉄などを乗り継いで、ホテルに宿泊もすればレストランで食事もするでしょう。普段の生活の中でもリスクをゼロにすることが無理なのはわかっています。でも、こういう状況の中で、今までのように職場やご家族を説得するのは、それだけでも気が重くなる作業だし、ちょっと後ろめたい気分にもなるかもしれない。快く送り出してくれるご家族も、もちろんいらっしゃるとは思うけど、それでもお互い、心の隅にある不安は消せないでしょう。
どう言い繕ったところで、ライブは娯楽なのです。今だからこそとか、ライブでしか伝えられない大事なことなんて、僕は持ち合わせてはいません。
とは言え、皆さんに会えないのは僕だって寂しいんです。早く安心してみんなで集まれる日が来るようにと、いつも心から願っています。

 

 

2020.09.11
「60本の赤い薔薇」

親戚が集まり、普段は飲まないお酒も少しだけ飲んで、顔を真っ赤にして、この日のために作った俳句を読み、浪曲なども歌い、大いに照れながらも嬉しそうに、楽しそうにしていた父の姿を思い出しました。あらためて見ると父も随分と年を取ったなあとつくづく思ったものでした。あれから三十数年の時が過ぎ、お陰様で父はまだまだ元気です。そして今度は自分がその時の父と同じ節目の年を迎えることとなりました。折しも、今まで経験したことのない大きな波を受けての自粛生活という状況も重なり、ゆっくり、じっくりと半生を振り返る日々を過ごしてきました。これまで自分の身に起こったこと、人との出会い、別れ、その時々の選択、決断。幼い頃の記憶から辿る謎解きのような、または一人禅問答のような。例えば何か悟りのようなもの、答えのようなものを探していたのかもしれません。これからの残りの人生の指針になるようなものが欲しかったのでしょう。でも、頼りがいのある心強い答えなど何も見つからないまま、その日を迎えました。それはそうですよね。そんなに簡単に人生の答えが見つかるわけがない。悩み苦しみ、そしてひと時の幸せを噛み締めながら、これからも今までと同じように、本当のその日が来るまで生き続けていくだけ。きっと父も同じようなことを、あの日、考えていたいたような気がします。
さて、ラジオ番組やホームページにたくさんのメールやお祝いのお手紙をいただきました。その多くに「これからもずっと元気でいてください」というメッセージが添えられていました。このシンプルな言葉が、今ほど心に響いたことはありません。みなさんの気持ちが心に沁みます。生涯現役という気持ちでお返ししていきたいと思います。
こんな僕ですが、これからもよろしくね。

 

いつもありがとう。

 

2020.05.04
「Wild flowers」