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2011.04.02
「無題」

子供というのはすごいよね。
生まれた環境に順応して育つ。

何を当たり前のことを、
と、思われるかもしれないけど。

例えば、僕は1960年に生まれ、
エアコンなんて家にはない環境で育った。
お風呂も家にはなくて、銭湯に通っていた。
その後、お風呂付きの家に移ったけれど、
燃料は薪だった。
暖房はコタツだったけれども、燃料は木炭と練炭。

それから高度成長の波に乗り、
生活は加速度を増しながら便利になっていった。
気がつけば、エアコンや自動車は、
誰もが持っていて当たり前のモノになった。
24時間営業のコンビニやファストフード店、
更には、24時間営業の生活雑貨店まで現れた。
電話は一家に1台ではなく、
もはや中学生や小学生までもが持ち歩いている。

一度、便利なモノを手に入れてしまうと、
もう二度とそれがなかった世界には戻れない。
もっともっと便利なモノを欲しくなっていく。
でも、そのために必要なエネルギーの量も、
やはり加速度を増して膨大なものとなっていく。
そして、今日の東京があり、日本がある。
便利なモノを貪欲に追い求めていった結果、
危険だとわかっていたモノにも手を出さざるを得なかった。

もう、大企業や政治家に責任を押しつけている場合ではない。
僕達ひとりひとりがその原因であり、
僕達ひとりひとりにその責任もある。

これからこの国に生まれてくる子供達のために、
僕達はどんな世界を用意してあげられるのか。

それは、例えば、
真冬でもシャツ一枚で過ごせる、自分専用の快適な部屋がなくてもいい。
いつでも熱いシャワーが浴びれる、自分専用の快適な浴室がなくてもいい。
思い立った時にどこでも好きなところに行ける、自分専用の快適な乗り物がなくてもいい。
もしも、みんながそんなふうに考えられるとしたら、
その代わりに、誰もが安心して暮らせる、
心の通い合う、あたたかい世界を手に入れられることだろう。

冒頭で言ったように、
子供というのは生まれた環境に順応して育つ。
だから、たとえ便利なモノや快適な空間が充分でなかったとしても、
彼らはそれを基本として、当たり前のこととして生きていく。
必要なのは真心だ。真心のある社会だ。

子供というのはすごいよね。
生まれた環境に順応して育つ。

何を当たり前のことを、
と、思われるかもしれないけど。

例えば、僕は1960年に生まれ、
エアコンなんて家にはない環境で育った。
お風呂も家にはなくて、銭湯に通っていた。
その後、お風呂付きの家に移ったけれど、
燃料は薪だった。
暖房はコタツだったけれども、燃料は木炭と練炭。

それから高度成長の波に乗り、
生活は加速度を増しながら便利になっていった。
気がつけば、エアコンや自動車は、
誰もが持っていて当たり前のモノになった。
24時間営業のコンビニやファストフード店、
更には、24時間営業の生活雑貨店まで現れた。
電話は一家に1台ではなく、
もはや中学生や小学生までもが持ち歩いている。

一度、便利なモノを手に入れてしまうと、
もう二度とそれがなかった世界には戻れない。
もっともっと便利なモノを欲しくなっていく。
でも、そのために必要なエネルギーの量も、
やはり加速度を増して膨大なものとなっていく。
そして、今日の東京があり、日本がある。
便利なモノを貪欲に追い求めていった結果、
危険だとわかっていたモノにも手を出さざるを得なかった。

もう、大企業や政治家に責任を押しつけている場合ではない。
僕達ひとりひとりがその原因であり、
僕達ひとりひとりにその責任もある。

これからこの国に生まれてくる子供達のために、
僕達はどんな世界を用意してあげられるのか。

それは、例えば、
真冬でもシャツ一枚で過ごせる、自分専用の快適な部屋がなくてもいい。
いつでも熱いシャワーが浴びれる、自分専用の快適な浴室がなくてもいい。
思い立った時にどこでも好きなところに行ける、自分専用の快適な乗り物がなくてもいい。
もしも、みんながそんなふうに考えられるとしたら、
その代わりに、誰もが安心して暮らせる、
心の通い合う、あたたかい世界を手に入れられることだろう。

冒頭で言ったように、
子供というのは生まれた環境に順応して育つ。
だから、たとえ便利なモノや快適な空間が充分でなかったとしても、
彼らはそれを基本として、当たり前のこととして生きていく。
必要なのは真心だ。真心のある社会だ。